引用元: 既婚男性雑談スレ2

428: 428 2015/09/26(土)20:14:41 ID:zG1
有名人の癌関連のニュースが相次いでいて、
ふと思い出した昔のことを語りたい。
長い上にフェイク入れまくりで、辻褄が合わないかもだけどご容赦ください。
長いので分ける。

Aさん:80代の男性。癌患者。
私:当時20代前半、新米医師。

Aさんには長年付き合っている持病があって定期的に受診をしていた。
そんなある日、持病とは全く関係のない場所で、癌が見つかった。
自覚症状はほとんどなかった。
その当時私は癌治療の科を研修しており、
Aさんの持病を診ていた科の主治医から連絡が入った。
「Aさんが転科した後はお前に受け持ってもらいたい。
ついては、これからAさんに癌の告知をするからお前も立ち会うといい。」




説明の場で初めて会ったAさんは、
80代にはとても見えないような若々しい男性だった。
スリムで背が高くて背中もまがっていない。
いつも優しく微笑んでいて、柔らかな声で話をして、認知症の気配すらない。
Aさんの傍らには、同年代なのだろうけど、
まるで少女のような小柄な奥さんが付き添っていた。

主治医が検査の画像を見せながら説明を始めた。
癌は、基本的には患者本人に告知する時代である。
「…Aさんね、自覚症状も無いから驚かれるかもしれないのだけど、
画像のここ、これ、癌なんですよ」
思わずAさんの表情に目をやる。悲嘆するだろうか。呆然とするだろうか。
「へぇー(・A・)それは驚きました!わからないもんですなあ。」
Aさんは目をまん丸にしてそう言ったのだ!
奥さんはちょっと眉毛を八の字にしたけど、
Aさんと顔を見合せたあとは静かに説明を聞いていた。

その後何度かの通院を経て、治療方針が決定した。
私はAさんが化学療法のために入院したところから受け持ちを始めた。
「いやはや、癌だなんてびっくりしちゃったけど、
先生これからよろしくお願いしますね」
担当医師として挨拶に行くと、Aさんは笑顔で頭を下げた。
まるで孫のような年代の、ひよっこの私に。
とはいえ、癌の化学療法を新米医師が全て担えるわけがない。
細やかな治療方針や薬の投与量などは、
私の上級医が指導・決定してくれていた。

その分私は、日々の診察や採血や検査結果説明など、
はりきってAさんの病室へ通った。
そのたびにAさんは笑顔で、その日の体調なんかを教えてくれていた。
429: 428 2015/09/26(土)20:15:52 ID:zG1
幸いなことに、Aさんには化学療法が良く効いた。
しかも、心配されていた副作用も軽度ですんだ。
治療前にさんざん、吐き気や倦怠感が予想されることを説明していたのに、
病院食をあらかた平らげたAさんは、
「すこし胃のあたりがムカムカしますけど、これは食べすぎですよね」
と言って笑っていた。

予定されていた化学療法のコースが終わり、画像で効果判定をする日。
癌は見事なまでに縮小していた。私は声を上げて喜んだ。
さっそくAさんにそれを伝えに行った。
でもAさんは狂喜乱舞するってわけじゃなく
「ほっほーぅ、それは良かった。おかげ様ですなあ。
では一時退院できますかな?」と目を細めた。

化学療法の次のコースまでは外来治療になる。
特に問題はなかったので、さっそく退院の日取りを決めた。
退院前日の夜、
治療経過のまとめと今後の治療方針を簡単に説明した。
いつも通り、Aさんは頷きながら聞く。
説明が終わり、何か質問などはないか確認すると、
「あのう、一ついいですかな?」とAさん。…なんだか照れてる!?
「明日の朝、退院前の病院の朝食を抜いていただきたいのです。
あ、食欲はあるのですが。」
「??いいですけど…朝10時退院なのに朝食を出さなかったら、
Aさんお腹すきません?」
「ふふふ、実は…明日退院後に、
家内ともぉにんぐを食べてから自宅に帰ろうと思っているのです!」
(*´∀`*)こんな顔をして、Aさんがのろけ始めたのだ!
でも明らかに発音し慣れていない「もぉにんぐ」。
声に出すとき、Aさんの目が少し丸くなっていた。
思わずこっちもにやけてしまった。

翌日Aさんは、迎えに来た奥さんと仲良く並んで帰って行った。
どこかの喫茶店で、夫婦はモーニングを食べただろうか。
外来治療、次のコースの化学療法、と順調に進み、
そこで私は研修先が変わったのでAさんの担当から外れた。
Aさんの担当は上級医に引き継がれた。
Aさんの体調は気になっていたが、新しい研修先でも忙殺され、
なかなか会いに行けない日が続いた。

翌年上級医から、Aさんが亡くなったことを告げられた。
癌は完治するものではなく、
化学療法で抑えていたのだが次第に癌の勢力が上回ってしまった。
最終的には心臓の機能が落ちてしまったようだ。
しかし癌治療中とはいえ80代の高齢者であり、
癌というよりは天寿を全うしたとも捉えられる。
ぎりぎりまで自宅での生活を楽しめており、
穏やかな最期だったとのことだった。

癌の患者さんと出会ったり、最近のニュースを見たりすると、
ふとAさんのことを思いだした。
何よりも奥さんとのデートを喜んでいた、Aさんの
「家内ともぉにんぐ」という笑顔が浮かぶ。
2人に1人が癌と付き合わなければいけない時代なんだな。
Aさんは癌といい付き合いができた1人なのかもしれない。

感傷にひたって独り語りすまなかったな。
気に障ることがあったらスルーしてください。




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